ダイスケさんが亡くなって、半年以上経つ。 正直、今もまだ受け入れきれてない自分がいて、今年も忘年会とかでフラッと会えるんじゃないかとか思っている自分がいる。
みんなへ
ダイスケさんの友人・知人で知らない人がいるかもしれないので告知打ですがお別れ会がある。 PostgreSQLカンファレンスと娘の三者面談終わったら挨拶に行くね。
お別れ会行くのに、自分の中でお別れできてないのは違うよな。 だから受け入れなきゃいけないから、なんというかケジメみたいな気持ちでここに綴る。
尊敬するエンジニアがある日突然いなくなった
ただただ無になってる。
— そーだい@初代ALF (@soudai1025) 2020年2月17日
だめだ。やっぱ一人になると考えてしまうし、何も前に進めない。
— そーだい@初代ALF (@soudai1025) 2020年2月17日
ひと晩じゅう泣いて泣いて泣いて気がついたの、友達なんかじゃないという想い。
— そーだい@初代ALF (@soudai1025) 2020年2月17日
訃報を聞いたのは2/17の夕方で、もう本当に全てが無になった。 その日は結局寝れなくて、朝までビール飲みながら泣いてた。
所感
ダイスケさんが残した功績はいろんなところにあるなって思う。 認証・認可のスライドとブログはいろんな人に紹介した。
ダイスケさんが亡くなって、僕ができることはなんだろうって考えて、結局は恩送りしか思いつかなかった。 恩送り、長くやっていくためにも、やっぱ自分も生きなきゃって思って、本気でダイエットも始めた。 30キロ以上痩せたからダイスケさんに久々に会ったら「そーだいさんマジ痩せたね!?」って驚くと思う。 しっかり生きて、僕がダイスケさんにしてもらったように、僕は若者に自分のいろんな事を伝えていこうと思ってる。 でも慣れないことやってるから全然若者に響いてなさそうだけど、まぁ続けてみます。
あと、やっぱ僕はダイスケさんが大好きなんだよなー。 なんだろう、毎週金曜日に未だに「花金だーワッショーイ!テンションAGEAGEマック」って言ってるところとか、ほんとダイスケさんらしいなって思う。 毎週Twitterで見かけるたびに切ない気持ちとダイスケさんらしいなって気持ちになる。 僕もそういうの残しておきたいな。 このブログがそういう存在になるのかな。
本当に、まだまだ一緒に飲みにいきたかった。 僕はダイスケさんとの付き合い、java-jaやクラメソの人たちと比べたら圧倒的に短いと思う。 でもこれだけ影響を受けているし、それだけすごい人だった。
なんか無限に終わらないから最後にこれ、心のメモに刻んでおきます。
創作に挑む人を絶対に馬鹿にしないこと。
— 都元ダイスケ🍅 (@daisuke_m) 2019年7月15日
おれはおっぱいを差別しない。ちっぱいもおっぱいだ。
— 都元ダイスケ🍅 (@daisuke_m) 2017年5月20日
最後に
今度、会うときは第何回のたけともそんになるかはわかんないけど、山城さん紹介してください!約束ですよ? それまでは山城さんとよろしくやっといてください。