Twitterに登録した日を覚えていますか?#MyTwitterAnniversary pic.twitter.com/bFMl9pCuzl
— そーだい@初代ALF (@soudai1025) 2020年3月31日
表題のとおり、Twitterを始めて10年が経った。 もう10年か!って気持ちとまだ10年かという気持ちと両方ある。 そんな中、想い出を綴っていく。
10年前のインターネット
10年前のインターネット、Twitterを始めた理由はAndroidのスマホを買ったからだ。 初代Xperiaの白、バージョンは1.6だったと思う。 まだdocomoのキャリアメールを使ってて、imoniで連携してた。 その時作ったアカウントが @soudai1025 で、元々mixiで繋がってた格ゲー友達などは、すでにTwitterを使ってる人もそれなりに居たので身近な存在ではあった。 soudaiってアカウントは当然取れなくて、思いつきで安易に誕生日を末尾につけた。 そのアカウントをもう10年使っている。
ちなみに最初の頃は今の青いアイコンではなく、ロマサガ2のダンターグのアイコンだった。 なにかの表紙に3rdのいぶき→3rdの春麗とアイコンを変えていった。 それでいうともうすでに若者にはiPodは伝わらないだろうなと思うと感慨深い。
Twitterを始めた当時
当時は福山の地場大手の子会社の社内SEをしてた。 そこの先輩の @usahash がTwitterを教えてくれて始めた。 まだハッシュタグに日本語は使えなくて #ponponpain とか #yoshinoya なぅ とか言ってた。 フォロワーなんて全然いなくて、Twitterはただの仕事の愚痴の吐き出し先だった。
Twitterによる出会い
ちょうどその頃、ソフトウェアエンジニアの勉強会ブームが始まりだして、自分もそれをきっかけにエンジニアのフォロワーが増え始めて、Twitterが楽しくなっていた。 当時は趣味でAndroidアプリを作って遊んでて、それきっかけにフォロワーが増え、県外のエンジニアもどんどんフォローして繋がりが増えていった記憶がある。 今でもその頃に繋がったフォロワーの多くは大事な大事な友人である。 また気がつけばその頃に知り合った人が、今では取締役技術部長になったり、尊敬するハッカーが農家になったり、スーパーエンジニアが社長になって、さらに大学生になって、さらにさらに大学院にも行ってたりする。 未来は全く想像できない*1ものだ。
Twitterとインターネットと繋がり
でいうと10年も続けるTwitterを特に好きになったことに大きなきっかけがある。 2011.3.11、そう東日本大震災だ。 テレビで見るだけだった津波の映像は衝撃的だったし、実際に自分の周囲の人に多くの影響を与えた。 その時、Twitterきっかけで大きなムーブとして格ゲーマーのチャリティ大会を主催した。
そんな中、フォロワーの @ryosms さんが下記のツイートをしたのを見かけたのがきっかけ。
最初はツイッターで「こういう時こそイベントを自粛せずにイベント実施して募金募ればいいじゃん」ってのを見かけて それで「じゃあゲーマーとして大会して参加費を募金に回せばよくね?」ってことで企画したら結構な人数が 賛同してくれまして全国規模で実行する流れになっています。
すでにキング・オブ・ファイターズの全国大会を手伝ったりしてたので大会を開くこと事態はなんのためらいもなかった。 でも、こんな大きなムーブメントになるなんて全く思ってなかったし、人の、コミュニティの、インターネットの可能性を感じた。 そんな出来事がチャリティ大会だった。
Twitterの使い方の変化
Twitterが愚痴を吐くのを辞めたタイミングがある。 Web系の会社に転職した時、@maeponさんが同僚*2になったときだ。 いつものようにTwitterで不満を口にした時、@maeponさんから「Twitterで不平不満を言うのをやめろ、見た人たちが見るたびに、お前の評価を下げている」と言われたときだ。 ちなみに今も昔もTwitterは本名でやっていない。 だからこそ「お前という人間の本質はそういうくだらない人間だと思われるよ」という主旨の指摘だった。 たしかにネガティブなツイートは見てる人にとって楽しくない。 もちろん自分にとっても楽しいことは大事だが周囲にも楽しいアカウントであろう、そう考えるきっかけになった。
10年間で変わったこと
ざっと初期の2~3年を想い出すだけでもいろいろとある。 その後、転職したり、東京に出てきたり、子供が増えたり色々あったが沢山のことがTwitterで変わっていったし、Twitter事態も変わってきた。
Twitterが変わったこと
パッと列挙するだけでもこれだけある。 この頃の仕様を知らない人も多いのではないか
- 引用RTがないのでTwitterにRTとつけて引用コメントをつけたりするのはマナー違反とされた
- 画像のupする機能がなかったので外部サービスをつかっていた
- ❤いいね、likeではなく、★お気に入り(fav)だった
- AndroidのTwitterアプリと言えばtwicca
- PCは様々なアプリがあったがJanetterを周囲で使う人が多かった
- 天空の城ラピュタがあるとみんなでバルスとツイートしてTwitterが落ちてクジラの絵*3が出る
- Twitterが落ちるとGoogle+が避難所*4になる
- ツイートの文字数制限は140字*5
- 一日のツイート数にAPI制限があり、つぶやきすぎるとAPI制限にひっかかる
他にもRuby on RailsからScalaやnodeになったり、細かい変更などは色々あったが、一番変わったなと思うのはTwitterを使っているユーザ層だ。 10年前は牧歌的というかインターネットな世界、言ってしまえばヲタクの拠り所だった。 例えば、2ちゃんねるだったり、はてなダイアリーだったり、ニコニコ動画だったり、そういうインターネットが好きな人たちが集う場所の一つがTwitterだった。
今は一般的になったと思うし、それが悪いとは全く思わない。 昔が懐かしいなと思うときがある、ただそれだけのことだ。
Twitterで変わったこと
Twitterを通して変わったことがある。 インターネット好きの一人の男に「そーだい@初代ALF」という人格が与えられ、そしてそれが「曽根 壮大」という人間よりも大きくなったことだ。 このブログを読んでいる人で何人、壮大という文字が「たけとも*6」と読めるだろうか。
今では職場でもそーだいさんと呼ばれるし、自分のことを知ってる人たちの多くは「そーだい」だと認識している。 つまりこの10年という時間は曽根壮大とは別の@soudai1025という人格と世界を作り上げた。 これはとてもおもしろい事象だ。
インターネットは時として、オフラインよりも強く、逞しく、そして美しい。 その一つの成果物として「オフラインの自分とは別の人格」を作り上げることがある。 結果、今は自分はそーだいが主なのか曽根壮大が主なのかすら曖昧だ。
そしてそーだいという人格を通して生まれた縁、コミュニティは代えがたい唯一無二であり、そしてそれもまたオフラインの事実なのだ。 つまり今、この瞬間に自分はそーだいという人間として生きている。
Twitterが変わらなかったこと
Twitterが変わらなくて本当に好きなところがある。 それはオープンなSNSであり続けたこと、そして今も続いていることだ。 仮にTwitterが明日Closeしたとする。 Mastodonに行くだろうか?アカウントはあるのだけど、今と同じようには使わない。 もっと小さな世界で使っていくだろう。
そうつまりTwitterを介して繋がった縁は変わらない財産なのだ。 そしてTwitterが存在し続ける限り、@soudai1025という人格が生き続け、そしてオフラインとして存在し続ける。
終わりに
酒気帯びブログを書いてきたが想い出の旅はここで一区切りとする。 次の10年後もTwitterがあり続けるかはわからない。 だけど、今もあることに感謝しながら今日もこのブログをまたTwitterに連携して、他愛も無いTwitterをするのだ。
おっぱいもみたい。
— そーだい@初代ALF (@soudai1025) 2020年4月7日