とある企業の内部ポエムとして空き時間で書いたのだけど、「これは公開してほしいです!」って強い声が読者からあったので公開します。 ほぼ、そのまま転記です。
前提:自分について
- 36歳 Webアプリケーションエンジニア枠でZaffiで業務委託してます
- 既婚で子供が3人居ます
- 広島出身です
- 大学生ですが休学しようか迷ってます
- おっさんに人気者、そーだいです。
- ここでいうおっさんというのは概念であり、実年齢に相関はありません
- 若者からは何デキる人がわからんが、怖いおっさんおるなと思われてるのかな~と危惧しています
若手だった当時の思い出
若手向けってことでそーだいさんの事知らないだろうし、昔話するのはダメな大人ってわかっているけど、我慢して聞いてくれw
自分は公務員からの転職組、つまり中途採用組なので新卒時代がなかった。 つまり、誰から研修などないし、教えてもらうという経験がほとんどなかった。 そうなるとほっといてもチャンスがもらえることなど無い。
だからチャンスはつかみ取りに行くものだった。 例えばこう。
正社員「DBわかる?」派遣「わかりません。」正「Linuxわかる?」派「わ(ry」正「ネットワークわかる?」派「わ(ry」正「javaわかる?」派「わ(」正「サーバの注文の仕方わかる?」派「わかります。」正「じゃあ携帯会員サイトのインフラは全部任せた。」 #本当にあったデスマな話
— そーだい@初代ALF (@soudai1025) January 31, 2012
サバンナ育ちと言われるような人たちはこうやって、たまたま運良く生き残ってきた だけである。 自分と同世代、何人も体や心を壊してきたし、自分は強く生んでくれた両親に感謝してる。
あとはまぁ参考リンクのところにも貼ったけど、とにかく目の前のチャンスを全部やるっていう生存戦略だった。 22で結婚して、23で子供いて、家族を養うためには選択肢が他になかったってのもある。 なので生存バイアスの塊なのであんまり参考にならんと思う。
今の若手との違い
今のIT業界の若手と自分は歩んできた道が全然違う。 例えばメガベンチャーの新卒の人はエリート of エリートだ。 それに比べ、自分はかっこよく言えば、雑草組。普通に運が良かった勢。
自分が20歳くらいのときは、Webアプリケーションはおもちゃだって言われたり、PHPと合わせて ダメなプログラミングの代表例 みたいに言われた時代だった。 Cが書けないやつ、ネイティブアプリ(デスクトップアプリね)を書けないやつらがやってるおままごとだ。みたいな。
そーだいさんもその時代にMacOSのデスクトップアプリ書いたりしてたけど、Googleがスプレッドシートを出し、Androidを出したときにこれからはインターネット、しかもWebだって気持ちになってWeb業界に転職した。
今でもその感覚を信じてるし、今はインターネットが、Webが好きだから自分が Webを良くしていきたい って思ってるし、それが実際に出来るのがソフトウェアエンジニアのいいところだと思ってる。
まぁということで、Webエンジニアって昔はセーフティネットっていうかドロップアウトした人が来る処って要素が少なからずあった。 それが今は花形職業の一つだと思う。 これは先輩方の努力の賜物と時代の変化だと思うけど、これによって大きく今の若手と違うことがある。
それは 圧倒的に今の若手のほうが、俺らが若手だったときよりも優秀な比率が高い ってこと。 花形になるってことは優秀な人が集まってくるということだ。 極端な話、俺らの時代は 他にコード書けるやつが居ないから堕落でも許された けど今からは コード書けるのが当たり前 になるので、朝起きれないやつは価値が低いとなるかもしれない。
そんな時代の変化はあると思う。 そーだいさんの時代は牧歌的だったとよく言われるが、今の方が競争は激しいと思う。 知の高速道路の整備された結果、出口で渋滞してるってよく言われるけど、その中で生き残ることは、そーだいさんの時代と比べると全然競争率が違う。
人との出会いが人生を変える
そーだいさんは運が良かったんですね、はそう。 じゃあどのように運が良かったか?っていうとそれは 人生を変えるような出会い があったことが運が良かった。
エンジニアHubのセミナーでも話をしたことがあるのだけど、自分はコミュニティに出会えたこと、その中で、ひらさんっていう本物のハッカー出会えた。 そしてなんとなくコードを書いてた人生から、プロダクトを、世界を、そして自分自身を 変えるためにコードを書く ようになった。
コードを書くことに目的が出来た後、2008年、ひらさんが主要メンバとして作ったイベントのオープンセミナー岡山でt_wadaさんと出会った。 t_wadaさんとの出会いはソフトウェアエンジニアとしての哲学との出会いだった。 どうやって学び、どうやって成長し、どうやってソフトウェアを活かしていくか。 t_wadaさんとの出会いから、ガムシャラに学び、猪突猛進でコードを書いてた自分が、正しい知識を学び、理性をもってコードを書けるようになった。 この出会いで、そーだいさんは野良のちょっとコード書ける人から、本当のソフトウェアエンジニアとして歩み始めたのだ。
他にも人生に影響を与えた出会いは、寺田佳央さんから世界を教えてもらったり、motemenから挫折を頂いたり、たくさんあるのだけど割愛する。
つまり、そーだいさんは縁に恵まれた。 だから運が良かった。
恩送り
運が良かった、いい話ですね。ってことは一旦置いといて、みんな大好き t_wada さんのこの記事を読んでほしい。
「恩送り」という言葉がある。意味は「誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ること」とある。恩返しをしようと思っても、その人がもういないことがあり得る。この言葉を知ったのはまさーるさんがきっかけだった。
まさーるさんの歳を僕はもう越えてしまった。あれ以来まさーるさんから頂いた恩を少しずつ世の中に送ってきたつもりだが、頂いたものの大きさを考えると、これから先も少しずつ送り続けなければならないと思う。
今年も恩送りの一つを世に出して、できればまさーるさんの墓前に持っていきたいと考えている。
自分は半年に一回、必ず振り返りをするタイミングでこの記事を読んでる。 まさーるさんの事故から3年後、つまり自分はt_wadaさんから恩送りされた一人であるからだ。 もし、t_wadaさんがこのブログを綴り、恩送りをする一環としてスピーカー活動をしてなかったら、オープンセミナー岡山は開催されてなかった。 そうしたら当然、今のそーだいさんは居ない。
つまり、そーだいというエンジニアは、まさーるさんの頃から送られてきた、恩の螺旋の上で成り立っている。 そして、みんなもt_wadaさんの記事を読んだり、研修受けたりしてるよね。 つまりみんなもまた、恩送りをされた一人だ。
インターネットだってWebだって、多くの人の貢献の上に成り立っている。 そして恩送りと同じく、そーだいというエンジニアはインターネットとWebのおかげで今の知識や経験が作られている。
僕は先輩方の恩(例えばコミュニティとかね)とインターネット、Webにとても感謝してる。 だからこそ、還元したいって気持ちがあるし、恩送りをしていこうと思ってる。
いつ恩送りをしたいって思ったの?
正直20代の時に恩送りとか考えてなかった。 毎日必死だからね、生き残ることに無我夢中だった。
じゃあなんで?って言われたら余裕ができたってことだと思う。 それと一つ大きなきっかけがあった。 30歳のときかな、独立してCTOになるって決まったときの12月。 岡山で毎年行われる忘年会議ってやつでの一言が、今も僕の心のメモの一番上に書かれてる。
この言葉の文脈を説明すると、弓本さんはオープンラボ備後ってイベントの主催者。 でそーだいさんは第一回に参加したときに前述のひらさんと出会った。 つまり、曽根壮大から そーだいの第一歩を踏み出すきっかけをくれた人 なわけだ。
そんな人と忘年会議で酒を酌み交わすタイミングがあって、そこで「弓本さんのおかげで自分もここまで成長できました、感謝してます」って感謝を伝えたら、この言葉が帰ってきた。 t_wadaさんの2008年の講演で恩送りって言葉を知ってた。 この言葉が初めて脳に知識としてじゃなくて、言葉として心に刺さった瞬間だった。
今でも色んな人達にめちゃくちゃ感謝してる。 だから、僕は恩送りをしていきたい。 だから、誰かにとって「そーだいさんとの出会いが良い出会いでした」となるように日々精進していくし、ここまで育ててもらったコミュニティに、インターネットに、Webにそして次の若手に還元していきたいと常々考えている。
終わりに
だからみんなもコミュニティに参加しろ!とか感謝しろ!!とかそんな話じゃなくて、自分が変わるチャンスは意外なところにある。 誰かとの出会い、ソフトウェアとの出会い、本との出会い、色んなタイミングで変わることができる。 でもそれはそのきっかけに気付くことが大事だし、気付くためには接触機会を増やす必要があるし、そして 変わるためにアクションする ことが必要だ。
そして幸運なことに今は色んなコミュニティがあるし、色んな勉強会があるし、色んな会社に色んな人がいるし、色んな仕事があるし、色んな出会いがある。 ということで、その機会の一つ一つに気付き、チャンスを活かしてほしいなって思う。
最後に、僕が尊敬するソフトウェアエンジニアの id:onishi さんの言葉を贈る。
参考リンク
まぁ興味があれば。